07021801・・・冬の夜でもほんのりと温かい場所・・・

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知らない土地で駅を見つけると何となくホッとしませんか?
夜でも灯りが点いている駅に来ると何となくホッとしませんか?
ホームに列車が止まっているだけで何となくホッとしませんか?

駅があるということは・・近くに街があり、人が居るという事。
そして、何処かに繋がっているという安心感。
だから人は駅が好きなのかも知れません。

写真は小海線臼田駅です。

今週の「北杜市アルファブログ “Hokuto In Our Time”」のお題は「駅」。
私担当の火曜アルファ「甲斐小泉駅・今昔」をアップしました。どうぞご覧ください。

“駅” への9件の返信

  1. こんばんは。
    家路に急ぐ駅の風景ですね。
    そうですね〜。駅のほんのりとした明かりっていいでね〜。
    田舎の駅では列車が近づくと人々が動き出し、
    列車が遠ざかると灯りだけが残りまた静けさに戻る。
    この繰り返し。
    なんか風情があっていいですね。
    無人駅の多い小海線ですが、
    駅の灯りがあるだけでそこに人々の生活ある。って感じがしますね。
    柄にも無い、こっ恥ずかしいコメントですいません。<(^^

  2. くまごろーさん、いらっしゃい。
    その土地の人々の生活のリズムがあるんですよね。
    小さい駅には小さい駅の、大きい駅には大きい駅の、その駅なりのリズムがあります。
    それが感じられるから、駅は色々な物語の舞台にもなるんでしょうね。
    素晴らしいコメントをありがとうございます。

  3. クルマで自分の走っている場所がどこなのか見失った時も、
    街を歩き回っていて、自分がどこにいるのか分からなくなった時も、
    駅を見つけると少しホッとする。
    ここを起点に自分のいる場所を再認識すれば家に帰る事が出来る。
    列車を利用しない人にとっても駅の存在は大きいのかもしれない。

  4. exifさん、いらっしゃい。
    ずっと昔、奈良の山辺の道を歩いていて日が暮れちゃったことがありましたよね。
    真っ暗になって、ようやく三輪駅にたどり着いたときは本当にホッとしました。
    駅っていいもんだなぁと思いました。

  5. 甲斐小泉駅・今昔

    私にとって「駅」と言えば、小海線「甲斐小泉駅」です。
    我が家から一番近い駅であり、東京で生まれて間もなくから正月や夏休みには親に連れられてこの地に来ていたので、付き合いという面でも一番長くなりました。
    上の写真が私の持っている甲斐小泉駅の写真では一番古く…….

  6. 今日は、お邪魔致します。
    駅、という言葉にはなにか独特の響きがこめられているようです。
    例え道路で繋がっていても鉄道路線が1本も入っていない地区は
    『陸の孤島』と呼ばれますし、数少ない路線が廃止されかかって
    きたりすると、周辺住民が一丸となって存続を訴えたりするところからも
    駅、鉄道、というものが生活にとってなんなのか、を垣間見させる様です。

  7. ふるさとの訛(なまり)なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく
    石川啄木を思い出すのは私だけではないと思います。
    駅ははじまりであり、おわりであり、途中でもあります。
    シモキタで飲んでたら電車がなくなって、線路を歩いて帰ってきたこともあった(ような気がする)。うふ。

  8. warabieさん、いらっしゃい。
    そうです、鉄道は道路と違って確実に外へ繋がって迷うことがないですからね。
    その鉄道と人との接点が「駅」なんですよね。
    地域の人々にとっては心のよりどころと言っても良いですね。

  9. yannさん、いらっしゃい。
    ふるさとを離れて暮らす人にとっては、駅がふるさととの接点なんですね。
    線路を歩いたんですか・・・都会なら線路より道を歩いた方が早そうですけどね。
    私は道が無くて線路を歩いたことがありますよ。
    千曲川の鉄橋を渡るのは怖かったなぁ(笑

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