中央線新府駅

10110701前にご紹介した「中央線穴山駅」の一つ甲府寄りの駅です。
1945(昭和20)年に信号所として設置され、1972(昭和47)年に駅に昇格した、中央線甲府ー小淵沢間で一番新しく、一番小さな駅です。



武田家の史跡である新府城址の辺りから集落内の狭い道を行くと、築堤の上に相対式2面2線のホームがあるだけの駅で、駅舎は無く、改札口や待合室もありません。
10110702駅名票が建てられ、ホームへはその横の階段を上がって行きます。
写真は下り線の入口です。
上り線ホームへは、線路下の道路を通って、やはり同じような階段を上ります。
10110703下りホームから見た上りホームです。
階段を上ってきた所に写真のような小さな屋根があるだけの簡便な駅です。
下りホームにも同じ施設があります。
10110704これも同じく上りホームです。
何しろ駅の建物が無く、築堤上の吹きっさらしですから、眺めはいいですよ。
ホームから富士山が見える駅というのも、それほど多くはないでしょう。
10110705下りホームの端から穴山方面を撮った写真で、上りホームの方が少し長いのが分かりますね。
ホームの向こうに見える山が茅ヶ岳で、形が八ヶ岳に似ています。
この辺から眺めて八ヶ岳と勘違いするので「ニセヤツ」とも呼ばれます。
10110706韮崎側から下り特急スーパーあずさが入ってきました。
当然ですが、通過します。
列車の後方に見える平らな部分に、以前は引込線がありました。
太平洋戦争の末期に、陸軍が七里岩台地の地下に大規模な軍需工場を作る計画を立て、その資材輸送のため新府信号場が作られたのですが、信号場で停車してしまった下り列車は、上り勾配がきついため走りだすことが出来ません。
そのため、一旦バックで平坦な引込線(加速線と言う)に入り、そこで加速をつけて上り勾配に向かうという方法が採用されました。
所謂スイッチバックですが、新府のスイッチバックは「片側にだけ設けられた」のが、他のスイッチバックの駅と違う特徴です。

1970(昭和45)年に複線化され、スイッチバックは廃止されました。

七里岩台地地下軍需工場計画については、こちらを→「山梨県内の戦争遺跡