小海線沿線の明治の史跡・2

11030401昨日の「小海線沿線の明治の史跡・1」の続きです。
龍岡城駅から、龍岡城五稜郭まで約30分の道のりを歩きました。
まっすぐ歩けばもう少し早いですが、下見ですから色々確認しながら歩いています。



元は大手門のあった場所に掛かる橋を渡ると、招魂社という神社があります。
写真は橋を渡った位置から撮ったものです。
11030402戊辰戦争から太平洋戦争までの戦死者を祀る神社だということです。
この神社には、変わった彫り物があります。
11030403ご覧のとおり「象」の彫り物があるんです。
普通なら「竜」がある場所ですよね。
何故「象」なのかは不明です。
11030404龍岡城の土塁の内側は、ほとんどが小学校の敷地になっています。
ポプラの木が1本ありますが、もしかしたら函館との交流があったのでしょうか?
11030405何故城内が小学校になったかというと、明治政府の破壊命令があったからです。
11030406詳しいことはエコソムリエ講座に譲りますが、この「御台所」と呼ばれる建物だけが破壊を免れました。
11030407堀の外にある「五稜郭であいの館」に展示されている資料を見て、今度は臼田駅を目指して歩きます。
あいにく寒風が吹き雪が舞う天気でしたが、浅間山が良く見えました。
次回は、小海線で馬流駅へ行き、秩父事件の史跡を歩きます。

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“小海線沿線の明治の史跡・2” への6件の返信

  1. なかなか味のあるいい所ですね。
    しかし、明治政府の龍岡城五稜郭破壊は
    本当に残念です。
    象の彫り物はお寺さんでは良く見かけますけれど
    神社では珍しいのかもしれませんね。

  2. flipperさん、いらっしゃい。
    城は反政府勢力の拠点になるおそれがあるとされ、明治政府が掌握管理できる一部の城を除き、全国の城に
    破壊命令が出たそうです。
    今にして思えば、馬鹿な事をしたものですね。
    仏教はインド起源だから「象」も分かります。
    神社は、私は他に見たことがありません。

  3. 二度めですみません。
    写真を改めて拝見すると
    鳥居もあるし、狛犬もあるけれど、
    建物は神社じゃ無いような感じですね。
    もしかしたら建物はお寺かも。
    だから象があるという事でしょうか?

  4. flipperさん、どうも。
    お寺っぽくも見えますが、これは拝殿で、この建物の後ろに建物の中からだけ参拝できるように
    本殿(神殿)があるんです。
    その形式ということは、やはり神社なのでしょう。
    その後いろいろ調べたんですが、象の彫り物がある神社はそれなりにあるようです。
    所謂「神仏習合」ってやつで、仏教が伝来したときに日本の神様と一緒になって、そのときに仏教と
    一緒に伝わった象の姿が神社にも取り入れられたのかも知れません。

  5. こんにちは。先週に引き続き、またまた土日出勤で今日は振替休暇・・・。
    午前中、雪降ってました。
    昨年のGWに龍岡城五稜郭に行きました。
    「御台所」(っていうんですね。)を開放してて、中を見学しました。
    地元の方かな?おじいさんがいろいろ説明してくれました。
    このような歴史上重要な場所に建てられた小学校で学ぶ子供たちは、
    都会の子供たちと違って、貴重な体験だと思いますね。
    そういえば、神社の「象」気になってました。<(^^

  6. くまごろーさん、いらっしゃい。
    忙しそうですね。
    こちらは20cm程の積雪になりましたが、午後は結構溶けました。
    龍岡城に行ったんですか。
    御台所はいつでも開放しているわけではないので、中を見られたのは良かったですね。
    こういう文化財を間近に見て育つ子供たちは幸せですよね。
    あの「象」の目が「でへっ」って感じで、面白いですよね。(笑

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