分かっていた事

今日は神社の話です。
世間では靖国神社の問題が騒がれています。はっきり言って私にはどうでも良い事なんです。そのどうでも良い問題で日本人全体が悪いように外国から言われるのは甚だ気分が悪いので、この辺で私なりの言葉で意見表明しておこうかという訳です。
世の中には、この世ならぬものが「見える人と見えない人」が居ます。そういうものを「感じる人と感じない人」が居ます。私の場合、全く見えません。感じるのはほんの少しです。でも何か資料で調べたとかではなく、どうも最初から分かってた事があるんですよね。

先ず神社とは何かというところから入りましょう。
表向きは神の住居ですね。でもその実態は神を封じ込めるための場所なんです。
八百万の神々と言うくらいで日本にはたくさんの神が居ます。一神教のキリストやアラーは唯一絶対の神で絶対の正義でもある訳ですが、多神教に絶対の正義の神は存在しません。ゼウスはギリシャ神話最高の神でありながら妻以外の女性との恋は数知れず、アマテラスは身内であるスサノオの乱暴に腹を立てて周りの迷惑も考えず職務放棄してしまいます。
まあ、絶対的正義というのは「独裁」でもある訳ですから良い所ばかりではありませんし、多神教の神は絶対的正義でない代わりに優しく情にもろい面もあるのですがね。
脳天気な地中海性の神はともかく、日本の神は乱暴者の「荒ぶる神」や陰湿な「祟り神」が多いので、昔の人間たちも神と上手く付き合うには苦労した事でしょう。出来る事なら必要な時には助けて欲しいけど、気まぐれで祟られては困る訳です。

そこで立派な住まい(社)を作り、供え物をして、そこに住んでいただいた(お祀りした)訳です。
人間が供え物をしたり恭しくお参りする事で気をよくした神は、人間に頼まれて力を使う以外は、社でのんびり暮らします。でもだんだん退屈になったり悪戯心が出てくる神も居る訳で、それを防ぐために「鎮守の杜」があります。神を鎮め人を守る「結界」です。
この結界を作ったのはその手の能力がある人間ですが、神がその結界を破れないのは神自信の言葉(言霊)で封じられているからです。つまり最初に社に入った時に、人間が「未来永劫供え物を絶やさずこの社でお祀りします」とでも言い、それを承知(契約)してしまったという事です。正に気付いた時には「後の祀り」でしょうか。(笑

鳥居は結界への出入り口ですが、それ自体が結界でもあるので神は通れません。
神社にお参りする人は鳥居の外で手水を使うなどの「お清め」をしてから入ります。一般に外界の汚れを持ち込まないためと思われていますが、それは違います。何と言ってもこの世で一番恐ろしい存在(神)が中に居るのですから、汚れたまま入って「神の気に障ってはならない」という事。要するに「障らぬ神に祟りなし」なんです。

そういう日本古来の神社でも、今は神が居なくなっている所が多いです。地方の小さな神社には今でも神が居る所もあるようですが、参拝者が押しかけるような大きな神社は汚れたまま入ってくる人も多いですし、心から神を恐れての参拝ではないですから、結界は消滅したか弱くなって神が出て行ってしまったのです。(出雲大社は例外)

さて、問題の靖国神社ですが、今まで説明した日本古来の神社とは根本的に違います。明治政府の都合で作られた物だからです。国が起こした戦争に兵士として国民を駆り立てるのに、国のために命を捧げた兵士を英霊として祭り上げる必要があったからです。
国が国民をマインドコントロールするための施設であって、一度もそこに神が存在した事はありませんし、死んだ兵士たちも誰一人として靖国神社には居ません。あんなものはただの器で中身は空です。
「国民は靖国神社が追悼施設だと思っている」と断言する政治家が居る事自体腹立たしいし「お前一度死んでみろ」と言いたいですよ。

以前ある人に「貴方は特攻隊で死んでるね」と言われた事があります。
「死んで割とすぐに自分で自分の父になる人を選んでその人に入ったんだよ」と言われた瞬間に、それは事実だと分かったんです。自分自身それまでは前世の事など全く覚えても居なかったですが、その時思い出したという感覚でもなく、それは「分かっていた」という感じでした。

終戦の年、19歳で米艦に突っ込んでます。19という歳ですから志願で予科練へ入ったのは想像が付きます。自ら望んで死ぬ訳ですから、相当コントロールされてましたね。米艦に向かって急降下を始めるまで、自分が死ぬ事が国を救い親を守る事になると信じている訳です。
最後の数秒という段階になって、国が親や家族を人質にして自分を死に追いやっている事。誰も望んで死ぬ訳じゃない事に気付くんです。もう「バカヤロー」と叫ぶ時間しか残されていません。だから特攻隊員はみんなバカヤローとかクソッタレーとか叫びながら突っ込みます。
で、激突する寸前にすごい力で体から引っ張り出されるので、実際に爆発する時にそこにあるのは体だけで、自分は空中に浮かんでいます。自由に動けます。でも誰もクソッタレの政府が作った靖国神社になんか行きませんよ。自分が何故死ななければならなかったかも分かっている訳ですし、死んでからもなお「英霊」などと呼ばれ、国の戦争に協力する義理はありませんからね。
私は、その頃満州の陸軍病院勤務だった兵士の一人を父に選んで、10年後の昭和30年に今の私として生まれてきた訳です。

今まで書いた事は私の「記憶」ではありません。「分かっていた事」としか言いようがないのです。それを私が勝手に書いているので、どう考えるかは貴方の勝手です。
ただ、この場で議論する気は全くありませんので、この記事に対するコメントは一切受け付けません。何か書きたい事があったら自分のブログに自分の言葉で書いてください。トラックバックは受け付けますのでご自由にどうぞ。内容によってはこちらからもさせていただくかも知れません。
この記事は「へたっぴセロ弾きの雑記帳」にトラックバックさせていただきました。

追記/ASさんのブログ「だけど、いい人・・・」でこの記事を紹介していただきました。

“分かっていた事” への2件の返信

  1. 見えないものの話 1

    MLの仲間に 先の時間が見えるという人がいました。
    その力のせいで、時々おろおろしたり塞いでしまったり、
    そういうことがあるせいで、人から誤解を受けることもあったようです。
    私が思うには、
    先の時間が見えることは、例えば、封切り前の映画を見るような優越感に満……

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