私たちがなくしたもの

05090301小高い山の林を抜けると、眼下に小さな棚田と水車小屋が見える。
収穫の済んだトウモロコシ畑。頭を垂れはじめた水田の稲。
私たちが子供のころ、日本の何処にでもあったこんな風景。
見られなくなってきたのは何時の頃から、、。


05090302爽やかな初秋の風に、揺れていた名も知らぬ小さな花。
さらさらと流れる水面に、午後の木漏れ日が踊る。
私たちが子供のころ、暗くなるまで遊んでいたこんな場所。
無くなってしまったのは何時の頃から、、。
05090303夕方の秋空を、埋め尽くすように飛んでいた赤トンボ。
暮れ残った光の中、何時までも洗濯ロープに止まっていた一匹。
私たちが子供のころ、一緒に遊んだ彼等。
会えなくなってしまったのは何時の頃から、、。
衆院選が公示され、こんな田舎でも一気に騒がしくなってきました。
解散前から「郵政解散」と言ったり、争点を郵政民営化問題だけに絞りたいのが本音ですね。民営化自体は私も反対しませんが、それだけで自民党に入れろって言うんですから笑っちゃいます。
生活を守り、自然を守り、平和を守ること。それが出来る人と政党に私は一票を投じたいですね。まあ、そういう政党があるかどうかは疑問でありますが(笑)少なくとも時代錯誤の独裁者には身を退いてもらいたいです。

“私たちがなくしたもの” への4件の返信

  1. ああ。。。懐かしい風景ですね。
    木立の中の腐葉土の匂い
    渡る風にざわめく木々の葉
    日に照らされて上り立つ地面の生温い湿り気
    古い木の壁、土壁のほころび、日陰の静かな冷たさ。
    虫の羽音が頭の上をかすめたり
    鳥が鳴き合って飛び立ったり
    誰かに会っても怖くないし
    靴の裏に感じる凹凸や弾力が心地いい。。。
    誰も彼もがこういうところで子どもを育ててやることが出来ればいいなあ、って思います。
    トトロに出て来た家の模型を見に行くよりも、こういうところに連れて行ったほうがずっといい。

  2. chaoさん、いらっしゃい。
    ある年代以上の大人には「原風景」ですよね。
    こういう風景の中で、自然とふれあい、家族に愛されて育てば、
    不幸になる子供なんか居ないと思うんですが、、。

  3. そうですね、本当に。うなづくばかりで、言葉もありません。
    この前の木の上のハウスもそうでしたが、何もかも
    自然が無くなってから、思い出したように作られるんですね。
    贅沢な体験になっているんですよね。
    自然と生活とがバラバラにならないような人生。
    いいですね。憧れます。(疲れてるのかな〜〜)

  4. ASさん、いらっしゃい。
    昔は普通だったことが、今では特別なことになっています。
    それはこちらのような田舎でも同じですよ。
    残念ながら、当たり前に水車小屋があったり、遊べる小川があったりするのではないです。
    でも、そういうものを子供たちに残そうとしている人々が居ることは素晴らしいです。

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