ダ・ヴィンチ・コード

07071401最近は時々DVDで映画を観ます。
最初の一回は時間があるときにゆっくり観ますが、2度目以後はBGMならぬBGVとして、殆ど聞き流すように「観流して」います。(笑
「ダ・ヴィンチ・コード」・・これはまだ数回しか観ていませんけれど・・・

写真は私が持っている美術全集の「レオナルド」の巻に収録された「最後の晩餐」です。
映画を観てすぐにこの本を確認しましたよ。(笑
まあ、キリストの左の人物がマグダラのマリアか聖ヨハネかは「どちらともとれる」としか言えません。
キリスト教の聖職者たちはこの物語を激しく批判しているようですが、私は物語の真偽にはあまり興味がありません。

私が一番印象に残ったのは「唯一の神が居る限り、その名において人が殺され続ける。」という、リー・ティービング卿の言葉です。
映画のように、キリストの神格を保つためにキリスト自身の子孫を亡き者に・・・という意味ではないですよ。
戦争のことです。

つまり「唯一絶対の神を信じる国と民族は、戦争を起こしやすい。」って事です。
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教・・・世界中で常に紛争を繰り返しているのは、その辺です。
何しろ自分たちの信じる神を唯一絶対として、他を認めないんだから・・お互いに譲らなければ争いになるのは当然でしょう。

それを考えると、日本のように、生まれたら「神社」、結婚は「教会」、死んだら「お寺」って、ある意味節操がないと言うか、程々に色んな宗教と付き合えるってのは、ホントは良いことかも知れません。
宗教は否定しないし、神様にも仏様にもそこそこの敬意を払うけれど、決して妄信しない・・・増して「神のために死ぬ」なんて事は絶対にしない・・・それって凄く大事なことではないかと思います。
「神のためなら死ねる」なんてやつは、神のために人殺しくらい平気でやるやつじゃないですかね。自爆テロなんてみんなそうでしょ。

日本も昔は、天皇を現人神(あらひとがみ)として奉り、その祖先である(とされる)天照大神を奉ることで戦争に突入していきました。
「信じる者は救われる」と言いますが、敢えて「信じる者は騙される」と、私たちは思っていた方が良いのではないでしょうか。
特に「美しい国」だの「愛国心」だの耳触りの良い言葉を発する政治家ほど胡散臭いものはありません。
今度の参議院議員選挙で少しは変えることが出来るでしょうか?

お馴染みの「北杜市アルファブログ "Hokuto In Our Time"」今週のテーマは「選挙」です。
火曜アルファは「季節は夏だってのに・・」として、本日夕方アップしました。気が向いたらご覧ください。
そして、投票に行ってくださいね。

“ダ・ヴィンチ・コード” への6件の返信

  1. ああ、ダヴィンチ・コード!!
    借りて観たいな~~~~~!!!!
    そうですか~~~!いろんな解釈があって
    謎だらけですね。
    本当に、選挙も・・・・・・・
    それも謎だらけですね。

  2. ASさん、いらっしゃい。
    結構面白い映画ですよ。
    宗教的な意味にあまりこだわらないで、謎解きを楽しんだ方がいいです。
    選挙は・・どうでしょうかね・・
    政治の謎は、解けても楽しく無さそうです。(笑

  3. ダビンチ・コードも見ていないな〜。
    フリーになったら結構時間は自由になって、
    平日の昼間映画とか見に行けると思っていたのに、
    どうもそう簡単には行かない。
    DVDという手もあるのだけれど、
    これも買ったまま封も開けていない映画もあるくらいです。
    大昔の日本、縄文人などは自然界そのものを神としていて、
    アイヌ民族なども同じ系統です。
    イヌイットやインディアンなども同じような宗教観を持っていて、
    大自然の驚異を崇めながら生きていく。
    だから何に対しても謙虚で自然を大切にする。
    そのような敬意を持つ宗教ならあっても良いと私は思うのですが、
    絶対神を信じる宗教はこの世から無くなって欲しいです。
    キリスト教など大きなので無くても、
    新興宗教みたいな教祖さまを奉る宗教も。
    「美しい国」だの「愛国心」って、どうも危ない香りがして、
    心の何処かで「この考えは危険だよ」ってささやいている。

  4. exifさん、いらっしゃい。
    時間が自由になりそうでならない・・フリーって「不自由業」とも言いますからね。
    映画は、やはり少しまとまった時間がないと観られないですからね。
    元々の日本の神々は、ギリシャ神話の神々と同じく、大変人間的で「絶対の正義」という
    思想も「絶対神」という存在も無かったんです。
    絶対の正義や絶対の神が存在することは、全てがそれに強制されるということです。
    それは大変危険ですね。

  5. 【アルファブログ】で、こちらの記事をご紹介いただきまして、ありがとうございました。
    「ダ・ヴィンチ・コード」観てないし、読んでないんで、迂闊なことは何も言えないのですが…。(でも、「ダ・ヴィンチ・コード」のタネ本となったという『雪花石膏の壷を持つ女~マグダラのマリアと聖杯』〔マーガレット・スターバード著〕は読みました。)
    確かに、一神教同士で争いを起こしているのは紛れもない事実なので、クリスチャンである自分としては、己のことと襟を正さなければならないと思っています。
    でも、大きなことを言う前に、何故自分がクリスチャンなのかと言えば、自分自身に元々他人を思いやる心が備わっていなくて、十字架の愛を知って初めて、人を本当の意味でいたわる気持ちが少しずつでも芽生えてきたからなんです。
    ここでは、これ以上の言明はいたしませんが、今後も自分のブログ等でキリストの愛について触れていきたいという意志は貫くつもりです。

  6. とどさん、いらっしゃい。
    そうですよね。
    普通の人はみんなそうだと思います。
    特定の宗教を批判するつもりはないし、大多数の信者の方は良い人だと思っています。
    宗教的権力者の中の一部の狂信的な者・・・それが煽る神への忠誠、絶対の正義・・・
    そういうものを全て信じてしまって良いのか・・・その道は戦争へ向かっていないか・・・
    そういうことを常に考えて行くことが必要なんです。
    神を信じるのは悪い事じゃないと思うし、むしろ尊いことだと思います。
    ただ、指導者を神の如く信じて良いとは絶対に思いません。

コメントは受け付けていません。