41・飛鳥路をレンタサイクルで

11062201山辺の道」を歩いた翌日です。
近鉄飛鳥駅の近くで自転車を借りました。
1978年1月の写真です。

このカットは欽明天皇陵の近くですが、朝早かったので寒かったのを覚えています。
11062202欽明天皇陵は、明日香村内では唯一の前方後円墳です。
また、写真のように高い所から見下ろせる天皇陵というのはかなり珍しいです。
全てを確認したわけではありませんが、他には無いかも知れません。
11062203猿石と呼ばれる人面石です。
欽明天皇陵近くの吉備姫王墓にあります。
元は欽明天皇陵の堤に置かれていたらしいことは分かっていますが、謎の多い石像です。
11062204「鬼の雪隠」という石造物です。
実際は、次の「鬼の俎」とペアで古墳の石室だったと言われていますが、離れている距離と角度が不自然なので、誰が何の目的で移動したかが気になりますね。
11062205石室の底石だった「鬼の俎」です。
この溝と穴が古代インカ遺跡の生贄の祭壇を思わせます。
実は、室町時代に築城された高取城の石垣に利用するため石を割ろうとした跡だそうです。
11062206「亀石」です。
これこそ謎の石造物で、なんのために作られたか不明だそうです。
亀と言うよりカエルの顔に見えますね。
11062207「橘寺」です。
聖徳太子の誕生した場所に建てられたと伝えられています。
写真には写っていませんが、本堂の前に聖徳太子の愛馬「黒の駒」の像があります。
それが甲斐から献上された、伝説の「甲斐の黒駒」なのでしょう。
甲斐の黒駒伝説は多数あるそうですが、聖徳太子に関わるエピソードは以下のようなものです。(Wikipedia より抜粋)
聖徳太子は推古天皇6年(598年)4月に諸国から良馬を貢上させ、献上された数百匹の中から四脚の白い甲斐の烏駒(くろこま)を神馬であると見抜き、舎人の調使麿に命じて飼養する。
同年9月に太子が試乗すると馬は天高く飛び上がり、太子と調使麿を連れて東国へ赴き、富士山を越えて信濃国まで至ると、3日を経て都へ帰還したという。

さて、この日は更に石舞台古墳へ回ったんですが、写真がありません。
いや、撮影はたくさんしたんですよ。
出来上がった写真も見た記憶がありますが、モノクロだったので違う場所に保管していると思われ、現在見つかっていません。
その内に探し出してご紹介するつもりですが、それはまた改めて。

次回は、斑鳩の里の写真です。