私にとっての鉄腕アトム

05012801今月の手塚治虫マガジンです。創刊号から読んでいますが、アトムがこれ程のアップで表紙に登場したのは初めてでしょう。
手塚治虫とその作品については多くの人が書いています。もちろん偉大な漫画家でありますが、今さら私が何かを書く必要も無いと思います。ただ、アトムにだけは少々思い出もあり、今月のこの表紙を見てちょっと書いてみる気になりました。

話は私が小学校に入学する前、昭和30年代半ばに戻ります。


私は5歳の年に幼稚園に入りました。私は当時から絵本を見たり絵を描いたりするのが好きな子供だったようです。
でも昔の事ですから今のように子供に何でも買い与えてくれる親ではありません。歯医者へ行った時に「泣かなかったら買ってやる」という条件を出され、何とか物欲が痛みに勝って本屋に立ち寄ったものです。
絵本は幼稚園でたくさん見られるし時々はねだらなくても買ってもらえるので、歯医者の帰りに買ってもらうのは「たのしい幼稚園」などの雑誌が殆どです。それは「ふろく」が目的でした。当時の雑誌は付録競争の時代で小はシールやメンコ、大は組み立て式のペーパー模型まで、毎月「5大付録」とか「7大付録」などと付録の数を競っていたものです。

ある時「特別豪華付録・巨大戦艦大和組み立て模型」(ちょっと違うかも)と書かれたある雑誌に目が行ったのです。秋田書店の「少年」という月刊誌でした。母は「それはもっと大きい子の本だから」と言いましたが、その時はたまたま父も一緒で「まあいいよ」という事で(実は父も模型好き)買ってもらいました。
その月刊「少年」が私と鉄腕アトムの出会いだったのです。

その年末頃に我が家に初めてのテレビが来ました。当時の事ですので、父が給料を貯めて買ったものだと思います。それまでは隣の子供が居ないご夫婦の家に近所中の子供が集まってテレビを見せてもらっていたものです。
当時の番組を挙げると切りが無くなってしまうので止めておきますが、その中の一つに鉄腕アトムの「実写版」がありました。それは人気がイマイチだったのか、同年代や少し上の人たちも知らない人が多いのですが、私ははっきり覚えています。

そして昭和38年の1月、私の小学校入学の翌年に日本初の連続テレビマンガ(当時はアニメとは言いませんでした)「鉄腕アトム」の放送が開始されたのです。
・・・・・・・この話題はたぶん続きます・・・・・・・(私にとっての鉄腕アトム・2へ)

“私にとっての鉄腕アトム” への4件の返信

  1. 「鉄腕アトム」も、後に続く手塚作品のほとんどがアニメ化されて
    それらも、みんな観ていました。鉄腕アトムは、流石に再放送かと
    思いますが、でも、手塚マンガを目にしない日は、無かったかも知れません。(叔父達がもう中学生以上だったせいで。当時は同居)
    最近リメイクされたアトムは観てませんが、当時は夢中になって観ていましたねー。

  2. ASさん、いらっしゃい。
    私はオリジナル版の全放送を一話も欠かさずに見ています。
    アトムについてはその辺の思いが今でも残ってます。(笑

  3. 懐かしいですね。
    一話も欠かさずとは言えませんが、やはり夢中になっていました。
    マンガも読んでいたしね。
    日本が世界中で一番ロボット工学の先進国なわけは、
    鉄腕アトムの影響が大きいそうです。
    HONDAのASIMO君の開発チームが最初に集められた時に、
    鉄腕アトムのマンガを置かれて
    「君たちにはアトムを作ってもらう」みたいな事を言われたそうです。
    子供の頃の想いは強いなと思いました。

  4. exifさん。いらっしゃい。
    そう、アトムは日本人の夢の未来でしたね。
    アトムがあればこそのロボット工学はもちろん、アトムで描かれていた世界を
    目指してやってきた研究者は多いでしょう。

コメントは受け付けていません。