甲府舞鶴城址5

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本丸から見上げた天守台。
ここに天守閣があったという証拠は発見されていません。

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天守台から本丸跡を見下ろした所。
正面が鉄門で、その向こうに山梨県庁舎が見えます。

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天守台からの眺め。
鍛冶曲輪、遊亀橋の向こうに甲府市街が広がります。

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天守台から甲府駅方向です。
城の敷地を分断して鉄道が敷設されています。

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場内の地図に写真の位置を入れてみました。
数字は撮影地点で矢印がカメラの向きです。

今までの記事に書いたとおり、舞鶴城の建築物は全て明治維新後に破壊されました。
明治政府が反乱を恐れて全国の城の全てに破壊命令を出したもので、一部は地元の嘆願などによって破壊を免れたものもありますが、甲府は天領(幕府直轄地)であったため、全く認められなかったようです。
天守閣については、その有無の証拠が全く残っていません。
舞鶴城は豊臣秀吉の命で築城されたもので、その目的(江戸の徳川家康を牽制するため)から天守閣があった可能性は高いと考えられますが、明治維新で破壊されたのではなく、大分古い時代に火災などによって失われていたのでしょう。
現在甲府市ではその証拠となる絵図面などを探していますが、甲府は二次大戦で空襲を受けてその殆どが焼け野原となっているため、貴重な資料は殆ど失われてしまったようです。

甲府舞鶴城址の記事はこれで終わります。