木の芽時

05042001桜や桃などの美しい花に気を取られていると、つい見逃してしまうのが木々の新芽です。
木の芽時と言うと「ちょっとヘンな人が出てくる季節」という意味がありますが、それは人間界の勝手な言い習わし。この時期の山は命の芽吹きに満ちています。

写真は「ウワミズザクラ」です。開き始めた葉の間に小さなつぶつぶが付いていますが、もちろんこれが花になります。漢字では上溝桜と書きますが、真ん中の「溝」は「ミゾ」とは読まずに「ミズ」です。


05042002こちらは「エゴノキ」です。
ホントに開き始めたばかりの3ミリほどの葉に陽の光が透けて、何とも言えない色でしょう。
初夏には白い花を咲かせ、夏には葉がしっかり茂って涼しい木陰を作ってくれる木です。実もたくさんなるのですが、有毒成分を含むので食用にはできないと聞きました。ただ、小鳥などはこの実を食べるようです。果皮にサポニンを含むという事なので中身だけなら良いのかも? どちらにしても美味しそうには見えませんから止めておきましょう。
05042003皆様ご存じのタラの木です。
これがもう少し伸びて小さな葉が伸び始めたら収穫時。山菜の王様と呼ばれるタラの芽です。
一昔前は野生のタラの木もあちこちにありましたが、最近はあまり見かけません。山奥に行けば多少ありますが、里の周辺では野生のものは絶滅状態です。
山菜採りのルールを知らない外来者の乱獲が原因です。
今では地元の人も、自分の見つけたタラの木の場所を他人に教えません。また、地元の家では畑や庭に植えて旬の味を楽しんでいるのです。

タラの木を見つけたら、今年になってから芽を採られた跡があるかを見ます。既に芽を採られている木だったら、それは採らない方が木のためには良いのです。採るとしても、ほんの少しという事ですね。木のために力を残してやらなければいけません。
「山の幸を分けてもらう」という考え方が必要です。

この辺のルールについて、一部の中高年の方の傍若無人ぶりは目に余るものがあります。会社では部長か取締役くらいまで行ったであろう紳士然とした方や、そういう方の奥様であろうと思われる上品そうなご婦人が、後の事を考えもせず「とことん採り尽くして」行くのですから。
やはり木の芽時は人を狂わせるのでしょうか。

“木の芽時” への5件の返信

  1. 部の中高年の方の傍若無人ぶりって、この前見た鎌倉での中年さんに通じるような気がしますね。
    若者はあまり採りに行かないってのもあるかもしれないけれどさ。
    自然を大切にする気持ちを持って行動して欲しいです。

  2. 瑞々しいステキな写真に、うなってしまいました。
    日本人は「恥」という言葉を忘れてしまったので
    しょうか。
    それとも「無知」なだけなのでしょうか。

  3. exifさん、いらっしゃい。
    あのお寺の話ですね。
    自分も50才に手が届く所まで来て改めて思うんだけど、10〜20年後の世代に
    堂々と見せられるような生き方をしたいな。
    難しいかも知れないけどね。
    逆に、先輩諸兄には、そういう生き方を見せて欲しいと思います。

  4. miyonさん、いらっしゃい。
    自然が「このくらいなら持って行ってもいいよ」と言っているメッセージを感じて、
    それ以上は決して採らないというのは、人間が自然と関わる上での原則です。
    昔は誰でも知っていた事を知らないし気付かない。
    無知であるより前に、感覚が鈍くなっているのかも知れません。

  5. 木の芽

    ベランダに鉢植えにしている山椒の若芽が伸びてきた。
    いわゆる木の芽である。焼き魚に手でパンと叩いて添えると香ばしい春の香りが楽しめる。採集して佃煮にすると、酒の肴やご飯の友にもって来いだ。
    木の芽は読んで字の通りで、あらゆる木の芽をさしているが、山椒の芽を指して言うことが多い。ところが私の住む地方では、アケビの新芽を指している。木の芽摘みと言えば、春先の山里に出るアケビの芽をとることを言う。
    芽が小さいので、大変な根気を要するが、春一番の山菜である。
    茹でて浸しにして食べるが、少々苦味があるので…

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