親子・別の道を共に歩く

05032501昨夜みぞれから雪に変わり、朝は一面真っ白でした。
ホントにこの時期はこれがあるから気が抜けません。今日は風も強くて冷たいです。春かと思って出てきた草や木の芽もふるえている事でしょう。
それでも陽射しは大分春らしくなって、雪もどんどん溶けています。道路にはほとんど雪はありません。

こちらの中学校は今日が終業式で、我が家の息子も来月から3年生です。まあ、来年は高校受験なんですけどね。本人に緊迫感がないので親としてもどうしたものかと考えてしまいます。
そういえば私は受験勉強ってした事ないなぁ。こういう事言うと嫌われるかも知れないけど、普段の勉強で事足りていたと言うのかなぁ?一番苦手で嫌いだったのは数学だけど、それでも平均点の上は確実だったし。いや、全く受験勉強しなかった訳ではないけれど、学研の中三コースの付録の問題集をやったくらいですね〜(笑
塾も家庭教師も経験無しなんです。まあ、時代が違うと言えばその通りですけどね。


中学生の時にテレビで大学紛争のニュースなんか見て大学そのものに幻滅した事と、元々アートの方に興味があったので、進路は県立高校で唯一「デザイン科」がある神奈川工業高校に決めました。
先生から希望を訊かれた時に「神奈工のデザイン科に入ります」と答えて「いいけどあそこは試験に受からないと入れないぞ」って言われました。「どこの学校だってそうだよ」と思いながら「でも入りますよ」と言ったように記憶してます。

親に言ったのは、それより後だったと思います。親に相談する前に決めちゃっていた訳ですね。県立だから親にかける経済的負担は最小限で済むし、神奈工と言えば神奈川県の職業高校ではトップだったから文句は無かろうと。(笑
唯一気にかかったのは「親の仕事」でした。私の父は職人で、ステンレス製の厨房機器や冷凍・冷蔵ショーケースなどを設計製造する小さな会社を経営していました。だから私が「神奈工のデザイン科に行きたい」と言う事は「会社を継がない」と宣言する事ですからね。
父の返事は「自分がやりたい事があって決めたならそれで良い」でした。その時私は親離れができたのかも知れません。
その時から父とは別の道を歩く事になりました。そう「別々の道を共に」歩いてきたんです。

息子は何を考えているのか今はまだはっきりしないです。私からはこの言葉を贈りましょうか。

たいせつなのは、じぶんのしたいことを、じぶんで知ってるってことだよ。(スナフキン)- –月の涙より- –

“親子・別の道を共に歩く” への4件の返信

  1. 私も学研派(派?)でしたよ(^-^)マイコーチやってました(笑)塾は行かなかったですね〜。
    うちの親も「こうしなさい」とは言わなかったなぁ。
    両親とも、私は私、あなたはあなた、お互い好きな事をやりましょうという姿勢だった気がします。
    ほったらかしにも見えるけど、ちゃんと「後ろから見ててくれる安心感」のようなものはありましたね。
    今は、早く嫁に行けといわんばかりですけど(^^;
    息子さん、くまぱぱさんの背中をしっかり見てるハズですよね。。きっと、ダイジョーーーブ!

  2. パピコさん、いらっしゃい。
    古い記事にトラバしてスミマセン。
    「マイコーチ」私はやらなかったけど知ってます、、懐かしいなぁ。(笑
    親の姿勢というか物の考え方ってすごく影響受けますよね。
    私の父は大正生まれだから、ホントなら古いタイプの年代なんだけど、
    私から見ても結構先進的な人でした。
    親が子どもに教えてやれる事なんて、基本的に正しい事と悪い事の
    区別くらいで、あとは「俺はここに居るよ」って事だけだと思います。
    精神的に常にそこに居るのが親としての役目かな? なんてね。

  3. 「息子だった自分」と「父親になった自分」
    比べる事は、結局 「自分の中の成長」を
    肯定していく事ですよね。
    息子さんは自分を肯定していく事が出来るのではないか、
    くまぱぱさんのコメントを読んでいて、そう思えました。
    素晴らしいお父さん達ですね、くまぱぱさんのお父さんも。
    くまぱぱさんも。

  4. ASさん、いらっしゃい。
    あまり褒めないでくださいね。
    私は木に登れないくまなんです。(笑

コメントは受け付けていません。