黒船来航

09072401嘉永6年(1853年)にアメリカ海軍東インド艦隊(ペリー提督)が浦賀に来航し、安政6年(1859年)に開国・横浜開港となります。
今から150年前のことですね。

横浜市で行われている「開国博Y150」のイベントの一つ、黒船来航イベントです。
当時に似せた外輪型蒸気帆船の航行シーンです。
09072402昔と趣は全く違うでしょうが、現在の横浜港を背景にした黒船も面白いですね。
帆船のように帆走も出来ますが、蒸気機関の煙突が見えます。
写真は帆走ではなく、外輪を廻して走っています。
090724031855年にオランダ国王から幕府に贈られた船がありました。
日本最初の蒸気船で、幕府海軍の練習船となった「観光丸」です。
「観光丸」は、1876年に役目を終えて解体されました。
写真の船は、そのの復元船ということです。
09072404観光とは「観国之光=国の光を観る」という意味です。
観光旅行、観光地などの「観光」は、これより後に使われるようになった言葉です。

この、復元船の「観光丸」は、長崎のハウステンボスで就航していたものです。
09072405外輪が力強く回って水しぶきが上がっています。
体験乗船のお客さんがたくさん乗っています。
黄色いラインや、キャビン部分の白が洒落ていますね。
09072406当時「黒船」と呼ばれたのは「鉄で出来ていたから」という説が結構多いですね。
でも、船体に「タールが塗られて黒かったから」というのが正解のようです。
鉄の加工技術が低かったと思うので、隙間埋めの意味もあったんじゃないかなぁ?
09072407黒船来航で起きた騒ぎを詠んだ「太平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も寝られず」という狂歌が有名ですね。
でも本当は、4艦の内2艦が蒸気船で、他の2艦は蒸気機関のない帆船だったそうです。
今回の写真は、6月に横浜へ行った際に撮影したものです。
この記事はちょっと別に扱いたかったので、少々間を空けてアップしました。

黒船来航、横浜開港・・日本にとってとても大きな転機だったと思います。
単に転機と言うより、時代そのものが大きく転換した時期ですね。

今週の「北杜市アルファブログ "Hokuto In Our Time"」のテーマは「転機」です。
火曜日担当の私の記事は「転機の多くは出会い」と題して先日の午後アップしました。
今回の記事は、今まで「くまぶろ」に掲載した昔のスケッチをいくつか掲載しています。
お時間がありましたら、どうぞご覧ください。

“黒船来航” への2件の返信

  1. あの船は長崎で働いていたものですか。
    わざわざ作るわけないよな〜と思っていました。

  2. flipperさん、いらっしゃい。
    そうなんです。
    あの船の正体を知りたくて、ネットで調べたんです。
    長崎から運んでくるだけでも(自走するにしても)結構大変だったでしょうね。

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