上田城

11052201「北国街道 柳町」から向かったのは、上田城です。
1583(天正11)年、甲斐武田氏の旧臣、真田昌幸によって築城されました。
徳川軍による猛攻を2度にわたって撃退した上田合戦で知られています。



写真は二の丸橋と言って、現在の上田城址公園へのメインの入口です。
橋の下は、けやき並木遊歩道になっています。
11052202けやき並木遊歩道を二の丸橋から見下ろした所です。
元は堀(空堀)で、1927(昭和2)年に上田温泉電気軌道の線路が敷かれ、1972年に廃止されました。
二の丸橋の下にはホーム跡も残っているそうです。
11052203二の丸から本丸へ行くところにある東虎口櫓門(大手門)で、平成6年の復元建築です。
左は南櫓、右が北櫓です。
上田城には天守閣がないので、この辺が記念写真のメイン撮影場所になるようです。
11052204こちらは南櫓です。
民間に払い下げ移築されていたものを、元の場所に戻したのだそうです。
11052205石垣の中の、ひときわ大きな石が真田石です。
徳川の世になり、真田信之が松代城(海津城)に移封されるわけですが、その時に真田家の宝として持って行こうとしたが、全く動かすことが出来なかったと言われています。
11052206北櫓です。
こちらも民間に払い下げられていたのを、上田市が買い上げて、元の位置に戻したものです。
11052207本丸を囲む堀です。
岸には桜の木が多数植えられていて、開花時には大変美しいそうです。
本丸には真田神社があり、西櫓もあるのですが、残念ながら今回は時間がなくて見られませんでした。

上田城は、2度の上田合戦で徳川軍を悩ませたことから、徳川の恨みを買い、徳川の天下になってから跡形もなく破壊されました。
現在では、天守閣の構造さえ記録が無い状態だそうです。

現在ある3つの櫓は、破壊の後に上田を治めた仙石氏が新たに築城した上田城に建築されたものですが、当時そのままなのは西櫓だけだそうです。
南櫓、北櫓は、明治維新後、今度は徳川方の城だったことから明治政府の命令で民間に払い下げ移築され、なんと遊郭にされていたといいます。
昭和に入ってからも、お堀に鉄道を敷設されるなど、徹底したイジメにあっています。

徳川幕府の時代はいざ知らず、明治政府も、その延長線上の昭和の政府も、自分の強さを誇示するために貴重な文化財を破壊したわけです。
戦では一度も落城しなかった城ですが、運命とは悲しいものですね。

今回の上田行きでは上田城が最後の目的地で、結局時間が無くなってしまい、まだ見たいものはあったんですが帰路に着くことにしました。
列車利用の日帰りでは、このくらいが限界でしょうか。
写真は180カット以上撮影して、80カット程を掲載しました。
まだ街撮り的な写真が結構あるのですが、それは別の機会にアップさせていただく事にして、上田関連の連続記事は一応今回で終了します。
お付き合いいただき、ありがとうございました。