廃車のある風景

05012001朝日を浴びる甲斐駒ヶ岳。寒風の中に堂々と聳える姿は何とも言えない威厳があり、私も好きな山です。

でも今回の主役は、手前の小さな車です。
既に動かなくなって久しいこの車は農業をしているKさんのお父さんの車です。Kさんのお父さんは、若い頃から毎日毎日陽が昇って陽が沈むまで畑で働いた人です。歳をとって農作業の現役を退いてからも田畑の見回りにこのジープタイプの軽四駆に乗って出かけていきました。
朝と夕方は必ずこの場所で周囲の山々を眺める。それを楽しみな日課としていたKさんのお父さんも、今は帰らぬ人となりました。
ある日、Kさんがこの車でお父さんの好きだったこの場所へ来た時、それまで調子良く走っていた車が突然動かなくなりました。多少は整備の心得もあるKさんですが全く原因が分かりません。修理屋を呼ぼうとした時、ふと「この車はここに居たいのかも知れない」と思ったそうです。

それ以来、この車はここに居ます。


先ずここで謝ってしまいます。
ごめんなさい。上の話は私が創ったフィクションです。実話だと思った方は感受性と想像力が豊かな優しい人です。

田舎では土地が広いので、古くなって使わなくなった車を自分の畑の隅等に置いておく事が割とあります。都会では信じられない事でしょうね。私も、使わないなら下取りに出せばよいと思いますけれど。
だいたい廃車と言えば粗大ゴミもいいところで、特に最近は都会の人が田舎へ棄てに来て勝手に山へ置いていく、要するに不法投棄も増えて問題になっています。確かに景観の良い場所に錆びてボロボロの車が捨ててあったんでは幻滅ですし、顰蹙物でしかありません。
地元の人でも単に棄ててあるだけの場合も多いですが、農家などでは畑の農機具小屋、道具置き場の代わりに有効利用している場合もあります。
では、有効利用しているなら良いのかと言うと、私は単純にそうは思いません。いくら道具置き場に使っているとは言っても、ボロボロになった汚い車は美観を損ねますし、そういう車の周りは草が生い茂って自然とゴミも溜まります。
逆に写真のように、きれいに草を刈ってきちんとしていれば、何の役にも立たない廃車であっても写真の題材になり、物語が生まれる切っ掛けとなり得るのです。それも人の気持ちとセンスの問題でしょう。自分の土地に置くのであれば置くなりの美的センスを発揮して欲しい物です。

Kさんは、お父さんが好きだったこの場所からいつまでも周囲の山が見えるように、毎年数回の草刈りを欠かした事はないそうです。

“廃車のある風景” への8件の返信

  1. 物語もそうなんだけれど、景色が素晴らしいですね。
    光を浴びすっかり葉を落とした立ち木と枯れた草の色、遠景の雪をかぶった駒ヶ岳。
    手前の車が良いポイントになっていますしね。
    本物の景色そのものが物語ですね。

  2. 最初、このお話を真に受けてしまう程、車=おじいさんの図がきれいに写真の中に収まっていました。 素晴らしい!写真で綴る「八ヶ岳のファンタジー」が出来そう・・・風景が語りかけてくれて、いいですね。

  3. exifさん、ありがとうございます。
    遠景の山と手前の車の存在感のバランスを考えて望遠で撮影しています。
    でも、肉眼で見ても「廃車=ゴミ」という感じはしない場所です。
    車の周囲の枯れ木はタラの木(山菜のタラの芽を採る木)なんですよ。

  4. ASさん、想像力、活きてますね。(笑
    本来「物」には何のファンタジーも無いのでしょうけれど、その「物」を作る人と使う人が
    注ぎ込む「何か」によって変化していくのでしょうね。
    もちろん、その「物」が置かれる場所、風景によるものが一番大きいと思います。

  5. 見事にワナにはまってしまいました(^^; アハハ・・・
    なんだか、映画の一場面のようなステキな景色ですね〜。
    そして、いい意味で期待を裏切るくまぱぱさんのセンスに脱帽です!(笑)

  6. パピコさんも想像力オッケーですね。(笑
    パピコさんのブログを見れば解りますが、たいへん柔らかな頭脳の持ち主ですね。
    私も楽しみにアクセスしています。
    柔らかな頭脳(脳軟化か?、、爆)で考えれば、何にしても100%という事はないですからね。
    廃車=ゴミでは決して無く、99%はゴミかも知れないけど1%くらいは物語の種になりアートの
    素材になり、その物語は12%の人の共感を呼び、アートは17.6%(その基準は何だ?)の人の
    感動を呼ぶかも知れない。
    要は、数字はどっちでも良くて「人それぞれ感じ方が違うという事を大事にしたいなぁ」と思う
    のであります。

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