私にとっての鉄腕アトム・2

05020601こちらの続きです。—私が小学校1年の年、1963年1月に、テレビで「鉄腕アトム」の放送が開始されました。フジテレビ(8チャンネル)で、放送は1966年12月31日まで4年間続きました。
そして自慢ではないですが、私は全ての放送を欠かさずに見ていました。
例えば夏休みなどでも、放送がある日には泊まりがけで出かける事は絶対にしませんでした。もちろん親にも放送日を避けてもらっていましたよ。当時は家庭用のビデオもなかったですから、考えてみれば大変な事だったかも知れません。


何しろアトム大好きで、ノートにはアトムの絵ばかり描いていましたね。
私の描くアトムの絵は評判が良くて、学校では友達から描いてくれと頼まれてノートの裏表紙などにずいぶんたくさん描いてあげたものです。
最初のうちは顔のアップだけで良かったのですが、その内に走っている所とか、空を飛んでいる所、女の子からはウランちゃんのリクエストがでたりして、なかなか大変でした。(笑

マンガ本も欲しかったのですが、月刊「少年」は時々しか買えませんでした。
でもその内、カッパコミックス「鉄腕アトム」が発売されると、他のマンガは一切買わないという条件で、これだけは毎月買ったものです。そう、これは別冊まで含めて全巻揃えましたよ。
高校に入ってカメラを買ってもらい、自分で現像などをやり始めた時に「暗室」を作る場所が必要で置き場の無くなった「アトム本」は全て人に譲ってしまいました。
今ならニコンの一眼レフより価値があるでしょうね。惜しい事をしたものです。
・・・・・・・この話題はたぶんまだ続きます・・・・・・・

“私にとっての鉄腕アトム・2” への6件の返信

  1. ものすごい懲りようですね。
    私もかなり好きで漫画も買っていましたが
    ここまで徹底はしていなかったな。
    でもあの当時の漫画はどこにやってしまったのだろう。
    そのまま残っていたらお宝になっていたのに。

  2. exifさん、いらっしゃい。
    そう、相当凝ってました。
    勉強机の引き出しとか、イスとか、アトムシールだらけでしたよ。
    流石に机の天板だけは親にシール禁止にされました。(笑
    オモチャとかプラモデルも色々持っていましたよ。
    今でもカッパコミックスだけは惜しい事をしたと後悔しています。

  3. 羨ましいですね、それだけ好きになれるっていうのは。
    アトムのいいところは、男女問わずファンになれるところかな。あの体型といい顔といい、子供を代表して悪者と闘ってましたね。
    それでいて、悩むし。ロボットにも心があるなんて、当時不思議にも思わなかったですが。

  4. ASさん、いらっしゃい。
    今と違って社会情勢も単純だったから、ああいうのが受けたんでしょうね。
    リメイク版も大分前のと最近のと両方とも見ました。
    でも当然ですが昔のように感情移入はできなかったですね。(笑

  5. はじめまして。上の記事を読んでいたら投稿したくなりました。
    私は当時(保育園の頃)、アニメよりも実写版のアトムのほうが好きでした。
    だから粘土でアトムを作ると、みんなと私のとではツノ(髪)の位置が違っていましたね。

  6. 福ノかめさん、いらっしゃい。
    実写版ご存じでしたか。
    私と同年の人に聞いても覚えている人は少ないのですが、私ははっきり覚えています。
    ただ、我が家にテレビが導入された歳には実写版は終了してしまったので、私が描く
    アトムはやっぱりアニメ版の方でしたけれど。

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