ニホンサクラソウです。
野生のもので、いつの頃からか我が家の庭の片隅に毎年可愛い姿を見せてくれています。日本には26種の野生種があるそうですが、絶滅危惧種も多いようです。詳しくは→「サクラソウを探しに〜絶滅危惧種を追って〜」
以前は我が家の周辺でもちょっと山道に入ると見かける事があったのですが、最近はめっきり減ってしまいました。
園芸品種は「プリムラ」と呼ばれる西洋サクラソウで、いろいろな品種を花屋で売っています。
こちらはイカリソウです。
これも野生種で、我が家より古くからここにあったようですが、気付いたのは数年後なんです。この花もハイキングコースなどで目にする機会の多い花でしたが、最近は少なくなりました。
ちょっと地味な感じの花ですが、船の碇(いかり)のような形なのですぐに分かります。詳しくは→「碇草 (イカリソウ)」
タイトルの「花は野にあるように」ですが、これは「利休七則」と言って、千利休が茶の湯を嗜む人間にとっての心得を述べたものの一つです。
茶人にあらずとも心しておきたい物事の本質ですが、それはさておき「木の芽時」の記事に書いた山菜以上に、こういう山野草が一部の心ない人の乱獲で激減しています。
利休が言った本来の意味とは違いますが、これらの愛らしい花々が「いつまでも野にあるように」願っています。
花は野にあるように。
私がこの言葉で思い出すのは奈良円照寺山村御流いけばなですね。
タカシマヤにいた頃に催しでやっていたのを見て、こういう華道もあるんだと思いました。
でもお弟子さんのは普通の華道の延長線上。
良いのは家元のだけだったような気がします。
タカシマヤだけでなく、他で行われた山村御流の華道展にも何回か行きましたが、
やはり家元のだけが「花は野にあるように」を実践しているように思いました。
山の草花を知っていて山道を歩くときっと楽しいでしょうね。
(それを採ってしまうような事はしないで欲しいけれど。)
exifさん、いらっしゃい。
たった一輪の花で、そこに自然の野を表現する、、、
利休は究極の完成度を求めた訳ですね。
そこに到達できるのは、やはり限られた人なのでしょう。
草花の名前は知っていた方が楽しいです。
「名前など知らない方が純粋にその美しさを楽しめる」と
何かの本に書かれていましたが、それは間違いです。
名前を知り、特徴を知り、花を理解する事で、より一層
その花の美しさを楽しめるというものでしょう。
「名前を知ってしまったから楽しめない」と言う人は、
元々それだけのものしか持っていない人です。
しんとした中でいただく讃岐うどん
山梨に越してきてからお茶を習い始め、2年半以上が経ちました。初めは長時間の正座に閉口しましたが、徐々にそのゆったりと流れる時間を楽しめるようになってきました。
一年も経った頃、「お茶の音を聴くとホッとしますね。建水に水を捨てる音とか、蓋置を棚に置く音とか…」と先生に申し上げると、「いい感覚してるわ」とお褒めいただき、作曲家の故黛敏郎氏がお茶を愛好されていて、湯がえしの音をオーケストラで言えばクライマック…
「花は野にあるように」の御題を見て、「おっ!!」と思って、こちらにもTBさせていただきました。
茶花には、まだまだ疎い私ですが、少しずつ覚えていきたいです。
とどさん、いらっしゃい。
お茶を習って居るんですか。
お茶の心というか、静かな中での音、花の姿、人の動き、、、いいですよね。
私もそういうのは好きです。
ただ、残念な事に「お茶」そのものがあまり好きではありません。(笑
う〜んと薄いのなら飲めますけど、、、(爆
利休七則を検索していたら、こちらのページにたどり着きました。
私は裏千家を習っています。今月から山村御流も習い始めました。
道は険しいけれど、じっくりと身につけたいと思います。
でも、「これを極めたい!」ってものは、まだ見つかっていないのですよ。やりながら見極めていくものかも知れませんが。
tomoさん、いらっしゃい。
何にしても「極める」という所まで行かれたら素晴らしいですよね。
なかなか誰にでも出来るものではないのでしょうけれど、そういう指向は
持っていたいものですね。