龍岡城の話


日本で唯二つの西洋式城郭(五稜郭)の一つです。
三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)の築城です。


三河国奥殿藩の分領であった信濃国佐久郡に藩庁を移転し、陣屋として建設したと言われています。


函館五稜郭の半分ほどの規模で、堀も小さく、実戦的な防御力は殆どなかったと思われます。(実戦はありませんでした)


藩主乗謨の西洋築城術に対する学問的興味が高じて設計されたもので、完成時には領民にも見学を許したとか。


今はなき大手門跡に立てられている説明板です。
松平乗謨は、幕府では老中格・陸軍総裁となった人で、大給 恒(おぎゅう ゆずる)と改名し、維新後は世界の勲章制度に関する調査を命ぜられ、賞勲局総裁にまでなりますが「その職を全うするために交際往復を避け、宮中三大節、観桜、観菊の宴から、日常の交際に至るまでいっさいこれを絶った」ということです。
何処かの総理大臣や官房長官も見習ってほしいものです。
日本赤十字社の創設者の一人でもあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です