甲斐善光寺


山梨県甲府市の善光寺の山門です。
一般に「甲斐善光寺」「甲州善光寺」「甲府善光寺」などと呼ばれます。しかし、この電柱。何とかならないものでしょうか。


本堂は宝暦4年(1754年)の火災で失われ、寛政8年(1796年)から30年かけて再建されたものです。


本堂の入り口です。
本道と山門は、国指定の重要文化財となっています。


本道の内部。現在の本尊は銅造阿弥陀三尊像(重要文化財)。
秘仏でしたが、平成9年(1997年)から7年毎に御開帳が行われることになりました。


屋根の大きさと繊細さは見事です。
東日本の木造建築物で最大級と言われています。

元々は、武田信玄が信濃善光寺の本尊であった善光寺如来を甲斐に持ち帰って開いた寺です。
略奪してきたとも言われますが、当時は信仰を集める仏像は常に時の権力者の元へと移される事が多かったようです。
武田氏の滅亡後は織田氏により美濃国岐阜城城下へ持ち去られ、本能寺の変により信長が討たれると尾張国清州城城下へ移されています。
さらに徳川家康により三河国吉田・遠江国浜松を経て、甲斐善光寺へ戻されました。
その後、文禄5年(1596年)の慶長伏見地震で京都東山・方広寺の倒壊した大仏の代わりとして、善光寺如来が豊臣秀吉の命で京都へ運ばれ、方広寺大仏殿に安置され、その後信濃善光寺へ戻されています。

自分で歩けない如来像としては、なんとも大変な距離を移動したものですね。