中央線日野春駅(2)

09101801懐かしいスカ色塗装の上り普通列車が入ってきます。
中央線日野春駅(1)」でご紹介した給水塔が見えますが、実はそれよりも手前の下り線ホームの側面に注目していただきたいのです。

左から、コンクリートブロック積み、石積みとなっています。
更に右の、低い部分がレンガ積みになっているのが分かりますか?
09101802駅舎の脇から下りホームを見ると、レンガの部分はかなり古いものだと分かりますね。
こちらの写真」で説明すると、現在のホームは首都圏の電車専用ホーム(1,100mm)より低い共用ホーム(920mm)です。
その前の客車専用時代のホームは760mmでしたが、更にその前・・明治の開業当時のホームと思われるレンガ積みホームはもっと低かったようです。
091018033世代にわたるホームの変遷の歴史が明確に見られる訳ですが、もう一つ、この駅にはちょっと驚く歴史があります。
駅前広場の外れに「信玄公旗掛松碑」と彫られた石碑が建っています。
伝承のある松の古木が、給水のため長時間停車する機関車の煤煙により弱って枯れたという、今で言う公害訴訟が1917年に起こされたんです。
091018042年後、大審院(現在の最高裁に相当)で、鉄道院(現在の国土交通省鉄道局に相当)に賠償を命ずる判決が出ました。
国の力が圧倒的に強かった明治憲法下では画期的な判決だったということです。
地元の人には良く知られた事件なんですが、興味のある方は「信玄公旗掛松事件」で検索してみてください。
2回に分けてご紹介した日野春駅ですが、如何だったでしょうか。

日野春駅は、七里岩台地の上の、馬の背とも言えるような幅の狭い土地にあります。
昔は給水施設のために引き込み線や待避線があり、今は特急の追い越しにも使われています。
鉄道の敷地は平坦で、それなりに広いのですが、駅前を通る県道の他はほとんどスペースが無く、崖のような急斜面の縁に家が一列に並ぶように建っていて、広い街には発展しませんでした。

日野春駅開業の14年後(大正7年・1918年)に地元からの嘆願により新設された長坂駅は崖っぷちのスイッチバック駅でしたが、駅前は地形的に余裕があり、街としては大きく発展しました。

“中央線日野春駅(2)” への2件の返信

  1. 日野春駅の給水塔、2年位前に車で通って見た記憶あります。
    良くこんな物が残っているなぁと感じました。
    でも、ホームはすごいですね。
    歴史があって、かつ、建て替えていない駅はどこかに昔の
    記憶があるんですね。
    こちらの写真の分析図はわかりやすいですね。

  2. さんちゃん、いらっしゃい。
    日野春駅は、鉄道好きには何とも嬉しい物が沢山あります。
    給水塔は雑誌やテレビにも出ましたが、ホームはあまり知られていません。
    立ち寄る機会があったら、是非じっくり観察してみてください。

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