邪魔者を消す

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この間小海線を走ったトロッコ列車の写真。
いい感じでしょ?・・邪魔な車も人もガードレールも消したからね。

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元写真はこっち。
何しろ年に一度くらいの特別な列車だし、撮影に来る人も結構多い。
たとえ一番乗りで撮影ポイントに来ていたとしても、これだけの広さに後から入るなとは言えないのは当然。
お互い譲り合って気持ちよく撮影したいからね。

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しかし、これだけ邪魔者が多いと何とかしたくはなるよね。
(この写真は撮影原版の等倍部分)

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で、これは邪魔者を消した等倍画像。
時間も掛けず、ていねいな作業をしたわけでもないので、かなり粗はあるけどね。
完成品は一番上の画像・・全体を小さくしちゃえば殆ど分からない。(笑

写真家と称する人たちのなかには、こういう加工をすることを嫌う人も多いね。
報道写真や記録写真、証拠写真としてなら、加工はするべきじゃ無いと私も思うし、それは当然でしょう。
だけどこれは私の作品としての写真なんだ。
この写真の制作意図は「八ケ岳の広大な風景の中を走るトロッコ列車の姿を美しく表現する」ことにあるのだから、邪魔者を排除するのも制作意図を実現するために必要な表現手段に他ならない。

「それは写真とはいえない」なんて宣っちゃう大家と呼ばれる写真家先生も結構いるんだが、じゃあ先生方は何の制作意図もなく、偶然を待って撮影しているのかってこと。
実際に目の前にある状況より、ちょっと暗い方が表現的に良いと思ったら、露光を変えたりするだろう。
部分的に明るくしたかったら、プリント時に覆い焼きをすることもあるだろう。
美しい風景を撮る時に邪魔なものがあったら、それが写らないようにアングルを工夫したり、その手前に草を置いたりして隠すことだってある。

要するに「写真は真実を写さない」ってことじゃないか。
「写真はフレーミングの外側にこそ真実がある」とも言われる。
どんなドキュメンタリー写真でも、必ず撮影者の意図は入るものだ。

どんなカメラでも人間の目には負けるんだ。
いや、数値的光学性能としては人間の目より遥かに高性能なカメラもあるが、人間の目は見たいと思った物を選んで見ることができるし、見たくないものを見ないことにも出来る。
その上で「見たとおりそのまま写真にする」ってのは、既にその写真は光学的に真実ではなくなっているわけだ。

理屈はともかく、1枚目と2枚目の写真のどちらかを額に入れてリビングに飾るとしたら、貴方はどちらを選ぶか?
いや、答えは聴かなくてもわかっているんだけどね。