「小海線らしさ」って何だろうと、ちょっと考えてみたんです。
南アルプスをバックに走る大曲、小泉ー大泉辺りの深い森の中、最高地点付近の野菜畑・・
どれも、とても小海線らしいと思いますね。
黒い瓦屋根の集落・・その後方にはたくさんのビルが見えます。
臼田駅を出て青沼駅に向かって来る上り列車です。
こみちらは、青沼駅を発車して羽黒下駅に向かう、同じ列車です。
やはり瓦屋根の集落が見えますね。
どちらも青沼駅のホームから望遠で撮っています。
近く見えますが、実際はかなり遠いです。
山や森もあるけど高原や森林ではないし・・昔からの集落と集落を結ぶように、旧佐久往還と千曲川に沿うように淡々と走っている・・小海駅から向こう側(小諸側)の小海線は、正にこういう感じです。
小海線の前身である佐久鉄道がここに鉄道を敷設するとき、当然人家の多い集落の近くを通り、駅(停留場)も作るけど、住民の立ち退きなんて面倒ですから、集落の真ん中ではなく外周に近い辺りを通ったはずです。
その後、大きな街に発展した集落では、市街地の真ん中を小海線が走っているような所もありますが、今でも駅の片側だけに家が集まっている所は多いです。
こうして集落と集落を結ぶように、田園地帯や山里を走る姿・・それも小海線らしいと思いますよ。
前にも書かれていたように、高原列車としての顔と
生活列車の顔の両方を持つのが小海線なのでしょうね。
小海線に限らず、どの路線でもそれなりに長いから
多かれ少なかれ色々な面を見せるのでしょう。
flipperさん、いらっしゃい。
そうです。
前から書いていますが、それでも時々書かないと、小淵沢側の人は、小海線を単なる観光路線だと
思ってしまいがちです。
両方を上手く活かして、守っていきたいと思うんですが・・
こんばんは。
そうですね~。
実家の最寄り駅の中佐都駅なんて
名前だけで、位置的にはどうみても中佐都地区ではなく、
岩村田(長土呂)地区ですからね。
10ウン年前までは駅周辺に民家が2,3件だったし。
聞いた話では、集落の中を通る事にやはり相当反対があったようです。
それでも、オラが村にも駅(停留所)のひとつくらいは・・・。
だったんでしょうね。
今じゃ、佐久平駅~岩村田駅はかなり賑わってますが、
新幹線が出来る前は、岩村田駅も町外れだったよなぁ・・・。
くまごろーさん、いらっしゃい。
岩村田から中佐都まで、ダーッと広がった田圃の中を、小海線の列車が淡々と走っていた風景を
今でも覚えていますよ。
私がここに来た頃は、車両も昔のキハ52系とかで、あの朱色とクリーム色の塗装が、田圃の緑に
とても引き立っていて、私の好きな風景でした。
今の佐久平駅の辺りなんて、本当に田圃しかありませんでしたよね。